日本でゼロからのスタート
- レンゲ
- 2016年2月22日
- 読了時間: 3分

日本に帰るにあたって、仕事の整理を始めた。
長年の夢をかなえ、育ててきた自分のブランド。
こつこつを築き上げてきた自分のお店。
二十四時間仕事のことだけを考えていた。
仕事が楽しくて楽しくてしかたなかった。
自分がそれを手放すということは、皮膚をはがすような痛みだった。
日本に帰る前の一週間は食事がいっさい喉を通らなかった。
ご飯を食べたいと思わなかった。お腹がまったくすかないのである。
ストレスから、耳鳴りが始まった。
耳の奥に低いブーンという音が鳴り続けた。
上海の飛行場まで、数人の友達が見送りに来てくれた。
犬を二匹ゲージに入れ、みんなで最後の写真を撮った。
やせこけた頬に、落ちくぼんだ目の幽霊のような私が写っている。
犬たちがゲージの中で不安そうな目をこちらに向けた。
涙がこぼれそうになった。泣いてはいけない。
そう思って、私は友達に短い言葉を残し、さよならっと手を振ると、
振り返りもせず、上海を後にした。
灰色の空の上海は重く沈んで見えた。
日本に着くと、幼なじみの友達が車で迎えに来てくれていた。
犬たちをゲージから出して散歩させ、車に乗せた。
友達との明るい会話と、犬たちが元気なのが救いだった。
自宅に着いた。オカンが出迎えてくれた。
友達にお礼を言って見送り、家に入ろうとした。
すると、オカンが
「犬は家には入れないよ」
と言った。
室内犬のチワワである。外で飼うことはできない。
「じゃあ、私も入らない」
そう言うと、私は庭に行った。
犬を庭に放し、大きな石の上に腰をかけた。
ちょうど夕暮れで、空が薄暗くなり、いくつかの星が輝きだしていた。
「なにもかもなくなった」
そう思った。
長年かけて築いたものをすべて捨ててきた。
私に残ったのは犬二匹だけ。
ここに戻るために、この数ヶ月、どんなにつらい思いをしたか。
なのに、家には入れず、外に座っている。
空を見上げた。
星が輝いて、あたりはすっかり暗くなっていた。
すると、ふと、私のポケットから光が放っているのに気がついた。
ポケットをあけると、辺りがぱあっと明るく光った。
私は、そこにたくさんの宝石が入っているのを見つけた。
それは、「経験」という宝石、「友達」という宝石だった。
経験は私から誰も奪うことはできない。友達もそうだ。
ポケットの中は、私が三十年間蓄えてきた知識や経験がいっぱい詰まっていた。
すべて失ったけれど、決してゼロではない。
そう思ったとき、オカンが
「犬も一緒でいいから家に入りなさい」
と声をかけてきた。
犬たちがしっぽを振りながら寄ってきた。
私は、ポケットを閉じると、家に入った。
日本での生活がスタートした。